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講師紹介

育成のスペシャリストの個別指導だから…
180日で習得できる。

当社では机上の空論ではなく「現場で使える技術」を重視しています。
そのため、治療院業界の最前線で活躍するトップクラスの講師から直接学ぶことができます。

実績

勝ち組治療家養成個別指導塾の塾長として第1期から第24期の総勢455名の塾生に治療院経営を指導する。

北は北海道、南は鹿児島まで全ての塾生の治療院の現場に訪れ、地域関係なく結果を出してきた。

毎回の授業後に開催される懇親会には遠方からお越しの先生も参加。塾生からの信頼も厚い。

全社150名超のマーケティンググループ会社にてアドバイザーを担当。業界を問わず評価を受けるマーケッター

講師紹介

本格的に治療院業界に携わること10年1ヶ月。

その間、治療院業界で成功している経営・集客モデルや各種ツールなどの調査・商品開発・コンテンツ制作を行い、成功モデルを体系的にまとめたものを、会員制サービス「治療院集客実践会」にて発表。

「今すぐできる課題を今すぐ実践!」をモットーに、実践できるノウハウを提供。

いただいた声の中には「ブラックボードの書き換えだけで、3日後に来院」や「ポスティングしたその日に予約が入った」「紹介カードを使ったら紹介が3名から8名に」など、店舗ビジネスを行う方へのアドバイスや戦略、仕組み作りを主な活動としている。

現在は、毎月の売上に悩み、廃業寸前の治療家さんたちの駆け込み寺となる、『勝ち組治療家養成個別指導塾』の塾長として登壇し、月商9万円から月商128万円のV字回復をはじめ、合計455名を月商100万円超えに導いている。

【実話】父の倒産。6歳で夜逃げ...
数ある職業の中、経営コンサルタントとして
治療家を助け続けているのか?

少し話は幼少期の頃まで遡ります。

僕は父親、母、兄の4人家庭でした。小さい頃というのは両親が共働きで二人とも自営業をしていました。

父は販売業、母はサービス業、具体的に言うと釣り堀屋という物を実はやっていました。母が釣り堀屋をやっていて、父が熱帯魚屋を、それぞれ別でやってたと。子供の頃はですね、まぁまぁ結構大きい家に住んでいて何不自由なくというような生活もしていました。

そんな自営業の家庭で育っていた丁度僕が7歳、つまり小学校1年生の時に「夜逃げを経験する」という事をしました。

小学1年で突然の夜逃げ。
幸せな家族を襲った残酷な現実

ある日、目が覚めると、全く知らない場所に僕はいました。

目が覚めたところは、築…多分40年ぐらい経っているようなボロいアパートですよ。今どき貧乏学生でも、そんな所住まないんじゃないの?っていうようなね。そんなアパートでした。

築40年ぐらい、六畳一間。六畳一間のボロアパート。トイレ共同。風呂なし。電話もね、お隣の人と切り替えスイッチで切り替えるような。

ちょっと想像してみてくださいね。六畳一間に、家族4人が住むんですよ。場所なんかもうほとんど無いわけです。

六畳一間のボロアパート
トイレ共同。風呂なし

母と兄は、六畳一間に置いてあるベッド、そこで寝て。父親が、その下に置いてあるこたつで寝て。僕は押し入れの中に寝て、というような所でした。

まぁ、後から「夜逃げしたんだな…」というのはわかりましたけれども。その当時は、何が何だか。何が起こってるのかさえも分かりませんでした。

じゃあ父親はというと、今まで自営業をずっとやってきて、会社勤めをしたことが無いわけですよ。別に資格をもっているわけでもないし、経歴が素晴らしいわけでもないし、何か専門職をやっていたわけでもない。

働く場所がない父
赤帽でなんとか食いつなぐ日々‥

当時、父親は55歳だったんですけれども、働く場所がないので。 とりあえず免許だけはありましたから、今でいう軽配送。赤帽ですね。

赤帽みたいな軽トラックに乗ってね、荷物の集配とかをやって、それで何とか生計を立てていくという事をしていました。

母親は母親で、もう仕事をする気が全くなくて。企業にも勤めないし、アルバイトもパートもしないし。

母はパチンコ漬けの生活

土曜日とか日曜日になると、僕と兄貴を連れて商店街に連れていかれるんですよ。

その時にね、喫茶店に朝から押し込められて「ここでパンケーキ食ってろ」ということで、当時、ウルトラマン80だったと思いますけどね、そういうテレビを見ながらですね、パンケーキを食べていた思い出があります。

で、母親は僕たちを喫茶店に押し込めて、まぁ2〜3時間消えるわけですね。帰ってくると、こういう紙袋を持ってきてたりするんですが。

その時はね、機嫌が良いと紙袋を持ってきて、機嫌が悪いと紙袋を持ってない。その中に何が入っているのかというと、お菓子がたんまり入ってるんですね。母親は何をやっていたのかというと、もう推測の通りですよ。パチンコに行っていると。

つまり、夜逃げして、父親が働く場所も無くて、ようやく選んだ仕事。軽配送の仕事をしていたわけですけども、そのお金でですね、まぁパチンコをやっていたのです。

家庭がどんどん壊れていく…

勝てばいいですけどもね、常に勝てるわけでもなく。一生懸命働いたお金が、ギャンブルで消えていくと。

家の中は、もう結構ギスギスしますしね。父親と母親は、よく喧嘩してましたしね。 僕なんかも、当時全く知らない所に転校するって事になりましたんで、なかなかコミュニケーションも取れずに、転校生という理由でいじめられた経験も当然あります。

凄く大切にしていた友達やペットも
突然いなくなる悔しさ

なにより悔しかったのが、夜逃げをしてですね、それまで自分が一緒に遊んでいた友達が、ある日突然居なくなる。凄く自分が大切にしていた玩具。これもない。実家で飼っていたペット、犬が居たんですけども、その犬も居ないと。

そういう夜逃げを経験した後で「なんでこんな生活をしなきゃいけないんだろう?」みたいなのが幼少期の頃に実はありました。

その後に、母親から「自分で商売はするな」と。大きくなったら、大人になったら、ちゃんと勉強して大学を出て、安定した会社に入りなさい、という事を言われました。

「自営業だけはやめてくれ」  
倒産、夜逃げ、家庭崩壊を経て
心が疲弊した母の心の声。

25歳ぐらいになってですね、ちょうど自分の人生を考えなきゃいけないって時、父親と話をした結果「25歳までに自分のやりたい事が見つからなかったら、家に帰って来い」と。田舎の方に帰ってきて親父の仕事を手伝え、みたいなね。そんな話がありました。

でもですね、僕25歳になっても、やっぱり自分のやりたい事が見つからずに、でも田舎には帰りたくなくて。で、勤めたのがですね、丁度家から歩いて10分かからない所ですね。自分に向いてる仕事が見つかったと。

その中で、本当にがむしゃらに働きました。朝7時に会社に行って、夜は10時、11時、残業までしてですね、本当に会社が命みたいな。 そこから2年の間に、上の先輩社員をごぼう抜きして、工場長代理という、そういう仕事までさせていただく事になりました。

で、4年が終り、5年目に入る時ぐらいだったと思いますが、2月の冬。まぁ雪は降ってませんでしたけども、凄い寒い日だったのは覚えてます。 ある日ですね、定休日があって、翌日会社に行くわけですけども。会社に行ったら、会社が無いって事がありました。

突然の倒産
脳裏に思い出される父の倒産

行ったら紙だけ貼ってあって、破産管財人、で弁護士の名前がボンっと入ってるというようなやつですね。

で、それを経験してですね、当時30歳でしたけれども、凄くビックリしたんですよ。

自分が一生懸命頑張って働いた、そこで軒並み実力も上げて、人生これで行けると思ったんですけれども、結局会社は潰れてしまいました。 次の仕事を考えた時に、どの仕事をしようかなと思ってたわけですけども「なんでそもそも会社は潰れたんだろう?」という、素朴な疑問がまず一つあります。

それと同時に僕の中に沸き起こったのが「なんでうちの自営業をやっていた父親、母親は上手く行かなくなったのか?」是非とも、この答えを知りたいというのが、そもそものきっかけです。

勉強すればするほどですね、わかるわけですね。

・なんで父親が夜逃げをしなくちゃいけなかったのか。
・なんで母親がああいう状態になってしまったのか。

当時の父親、母親と同じような人ってのが、世の中にまだまだ五万といるんですね。

例えば、自動車の免許。自動車の免許を取りたければ、皆さん教習所へ行くわけじゃないですか。そこで学科と実地と学んで、知識を得て、そして技能を高めて、それでようやく車が乗れるという所に来るわけですね。

で、これをご覧の、まぁ治療家の先生であればわかりますけれども、治療院、治療家さんも、理論と技術を学んでようやく出来るわけじゃないですか。

実は経営も、理論と実技っていう物があるんですね。スキルってものが当然あります。学べば誰でもできるんですけれども、それを学ぶ場所がない、学ぶ機会がない、そもそも皆自己流でやると。

何をどうやっていいのかわからない、試行錯誤しながら、やりながら会社を一つ二つ潰してしまうと。

僕は、こういった人達をとにかく何とかしたいという思いがあります。

父はもう十何年前に他界してため、それを伝えたい相手はもういません。

母は今85歳ですか、まぁ何とか生きてますけれども、今伝えたところでどうしようもない、という事があります。

まだまだこの予備軍という人達は沢山いらっしゃる。でも子供には何の罪も無いわけなんですよ。でも子供は、親の環境に支配されて、それに巻き込まれてしまう。

本当ね、夜逃げするとですね、本当に悲惨ですよ。

まぁ、ちょっと想像してみたら良いと思いますけれども、一家4人が築40年のボロアパートで、六畳一間で暮らす。そんな事を考えてみてください。誰もそんなことは望んでないわけじゃないですか。 だとしたら、せめてその学ぶ場、その技術を習得する場、それを僕が提供していきたいと。

僕はかつての父親を救いたい。

父親が達成できなかった夢、それを何とか形にしたいという思いがあって、今僕はですね、この経営コンサルタントというね、一般企業とか、社長さんのお手伝いをする。

そういった仕事を実はしています。

自分の仕事を全うして欲しいというのもあるし、集中して仕事をして欲しい。

その結果、クライアントには喜ばれる、患者さんには喜ばれるし、そして家族も幸せになるし、そしてあなた自身も心を豊かなもので満たされるというのが凄くあると思いますので。

地域の人から支えられる、地域の人から感謝される、そんな治療家になって欲しいなという風に思います。